朝でも昼でもこんばんは。

布団の中からこんばんは。

最近自宅にいる時はNetflixで『孤独のグルメ』ばかり観ています。

観ているというか垂れ流している感じ。

BGMと一緒ですね。

どのタイミングから観はじめても特に困ることもなく、かといって内容がつまらないわけでもなく。

「程良い」って言葉がぴったりなドラマだと思ってます。

消費カロリーゼロ。

食事中に観ていると稀に目の前の献立と見比べて少し悲しくなることもありますが。

それも含めて良いドラマなんです。

「ちょっと最近疲れてるな」って人、ぜひ観てみてください。

すごいフラットなテンションに持っていけますので。

そんな『孤独のグルメ』ですが、そろそろシーズン8まで観尽くしてしまいそうなんです。

Netflixで公開されているのはシーズン8まで。

心の安定剤が終わってしまう。

そんな危機を回避するために、一旦孤独のグルメは中断。

リアルタイムで放映されている番組を観てみたんですね。

番組名も放送局も覚えていないですが、ラッコの特集をしていた番組。

以下、うろ覚えですので誤った箇所があると思います。

ご了承ください。

カリフォルニア州の野生のラッコの生息数がとても減ってしまった。

ラッコの子どもはよく迷子になるらしい。

母ラッコとはぐれたらその後は絶望的。

保護した子ラッコを人間の手で育てて野生に帰しても生存率は低い。

なぜなら生きていくうえで必要な技術を教えてもらっていないから。

だから人間は考えた。

水族館などの施設の大人ラッコに代理母をしてもらおうと。

この作戦は大成功。

一時100頭を切っていた個体数も、今では3000頭以上。

ちなみにラッコが絶滅することで生態系に大きな変化があり、

人間の生活も脅かされる的な事を言っていました。

言っていたような気がします。

たしか。

そんな番組の終盤に、ナレーターの女性がこんな様なことを言っていました。

「この小さな世界を守ることで、私たちの生活もうんぬんかんぬん…」

これにぼく、すごい違和感を覚えたんです。

「小さな世界」単語。

人間ってすごい傲慢だなと。

ラッコにとっては今いる世界が全てな訳で、人間の尺度で小さいとか言われてもね。

ぼくがラッコだったら激おこですよ。

手に持った貝でそこら中叩いて回りますよ。

お気に入りの石もぶん投げてますよ。

ぼくがラッコじゃなくて良かったね。

おそらくラッコの個体数が減っている要因の多くは人間。

ラッコに限らず、地球の環境を急激に変化させてるのはほぼ人間。

そんな人間がラッコに向かって「小さな世界」ですって。

とてつもない違和感ありませんか?

その言葉を聞いた瞬間、番組の内容が一気に滑稽というか陳腐というか、なんかそんな感じになってしまったんです。

超極端にいうと、自分が地球の中心にでもなったつもりなの?的な。

道化っぽさというか、なんというか。

とにかく滑稽に感じたんです。

正直ぼくは環境問題の為に便利を捨てられるような素敵な人間ではありません。

その便利の中で出来る限りのことをしていこうくらいの意識で生きてます。

なのでそんな偉そうなことを言える立場でもありません。

だけどね、さすがに「小さな世界」は無くない?

自分棚に上げすぎじゃない?

そういう風に思いました。

もちろん今生きているラッコは、個体数が増えて嬉しいでしょうし、

そのために尽力している人たちは素晴らしいと思います。

ほんとに頑張って欲しいです。何も手伝えませんが。

ナレーターの人も、その原稿を作った人も、そういった傲慢な意識は持っていなかったことでしょう。

ただぼくが一人で滑稽だなって思っただけ。

モヤモヤを感じたよって話でした。

まぁ考えることは自由ですし、表現する事だって自由。

文句を言うのも滑稽だなと感じるのも自由。

とはいえ滑稽だと思われるのはすこしキツイ。

なので滑稽だなと思われないよう細心の注意を払って生きていきます。

第三者視点で自分を見ることの出来る、そんな技術を習得しようと思います。

おそらく思ってるだけで習得はできないので、ぼくのことを滑稽だと思っても陰口で留めておいてください。

耳に入ってこなければ言われてないのと同じ。

令和の道化ことオータ、これからも伸び伸びと自由に生きていこうと思います。

よろしくお願いします。

では今回はこの辺で。

もう寝ます。

おやすみなさい。